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「花(仮称)」福沢一郎 作(4号 油絵)/お茶のふじい・藤井茶舗
※絵画は会員割引対象外となります。 ※委託品につき、お問い合わせは必ず「お問合せ」フォームからお願いします。 <作品について> 「花(仮称)」福沢一郎 作(4号 油絵) 保管箱タトー 黄袋 ※販売価格は「美術年鑑」号数評価額から算出した価格の40%OFFです。 福沢一郎(1898〜1992)は、一貫して主題(画題)を如何に表現するかということを追究し続けた、日本の絵画史に異彩を放つ作家です。 また、昭和初期における所謂「シュルレアリスム絵画」の紹介者としても広く知られています。 大正末期から平成へと至る画業において、 福沢一郎はさまざまに主題と作風を変えながら制作に取り組みました。 福沢一郎の作品には、同時代の美術、社会、そして人間のすがたが見え隠れします。 それは、福沢一郎が生涯抱き続けたドライな批判精神により生み出されたものです。 また、福沢一郎の量感あふれる人体表現や独特な色彩感覚は、日本の洋画史において他に類を見ない特長といえます。 この作品は、晩年の抽象的な画風の、主に紙に油彩で描いた作品とは異なり、キャンバスに重厚でしっかり描いています。 制作年代は恐らく60年代半ばから70年代と思われます。 状態が非常に良好で、特に発色においては申し分ありません。 東京美術倶楽部交換会出品作です。 <作者紹介> 福沢一郎 1898(明治31)0歳 1月18日 群馬県北甘楽郡富岡町(現在の富岡市)に生まれる。父仁太郎、母ハツ。 1918(大正7) 20歳 9月 東京帝国大学(現在の東京大学)文学部に入学。しかし大学にはほとんど行かず、朝倉文夫の彫塑塾に通う。 1924(大正13)26歳 4月 彫刻の勉強のため渡仏。 1927(昭和2)29歳 この頃、彫刻をやめて絵画制作に本格的に取り組むようになる。 1931(昭和6)33歳 1月 第一回独立美術協会展(10〜31日 東京府美術館)に滞欧作が特別陳列され、当時の美術界に衝撃を与える。6月5日 帰国。この後、さかんな制作と執筆活動によって、次第に前衛絵画運動の主導者的立場をとるようになる。 1939(昭和14)41歳 4月5日 独立美術協会を脱会。5月17日 美術文化協会を結成 1941(昭和16)43歳 4月 治安維持法違反の嫌疑により逮捕され、世田谷署に拘置される。11月放免される。以後終戦まで、前衛的な絵画活動をきびしく制限され、戦争協力画制作などに従事する。 1945(昭和20)47歳 3月 東京大空襲の後軽井沢に家族と共に疎開。 1949(昭和24)51歳 この年、美術文化協会を脱退。 1952(昭和27)54歳 5月 文化自由委員会の日本代表として同会主催の国際フェスティバルに参加するため渡仏。 1953(昭和28)55歳 1月 フランスからブラジルへ渡り、サンパウロ、ベレンなどの街に滞在。1954年6月頃までブラジル、メキシコなどを旅行する。 1954(昭和29)56歳 6月 帰国。この年美術文化協会に再入会 1957(昭和32) 59歳 5月 第4回日本国際美術展に《埋葬》を出品、日本部の最高賞を受ける。11月美術文化協会を再脱退。 1965(昭和40)67歳 4月15日 渡米。アメリカ留学中の長男夫妻を訪ねる。6月ニューヨークに移り制作に励む。9月スペインに向かって10月、パリより帰国。 1976(昭和51)76歳 4月17日 「福沢一郎展」が群馬県立近代美術館で開催される(〜5月23日)。 1978(昭和53)80歳 10月 文化功労者に選ばれる。 1988(昭和63)90歳 4月から「福沢一郎展」が、群馬県立近代美術館と世田谷美術館で開催される。 1991(平成3)93歳 11月 文化勲章受章。 1992(平成4)94歳 6月14日 「文化勲章受章記念 福沢一郎展」が群馬県立近代美術館で開催される(〜7月19日)。 10月16日 聖路加病院にて死去。20日に砧の聖愛教会で葬儀が行われる。
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